1.格差とは何か

2008年6月8日に起きた痛ましい秋葉原連続殺傷事件。そして先日おきた八王子殺傷事件。一部には格差社会の生んだ悲劇であるという声もある。今回は、格差について考えてみたい。

Wikipediaによると格差社会とは次のように定義されている。

『「格差社会」とは、ある基準をもって人間社会の構成員を階層化した際に、階層間格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である(つまり社会的地位の変化が困難、社会移動が少なく閉鎖性が強い)状態が存在する社会であり、社会問題の一つとして考えられている。

学問的には、社会学における社会階層研究や、教育社会学における不平等や地位達成研究(進学実績、教育志望、職業志望研究)、経済学における所得や資産の再分配研究と関連している。』


つまり、社会に階級差ができ、かつ相互間の遷移が著しく困難な状態が格差社会。昔でいえば、士農工商のような身分制度に近い社会が格差社会であるということ。

日本で良く言われる、格差社会といえば、その収入による格差であるとか、正社員・派遣労働・フリーターといった雇用形態での格差が焦点になることが多い。

収入格差を論じるときによく使われるものにジニ係数というものがある。これは、イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された社会における所得分配の不平等さを測る指標のことで、経済活動の成果である国全体の所得が各世帯にどのように分配されているのかを調べるときに、最もよく用いられる指標。

係数としては、0から1までの値をとる。0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味していて、0のときには皆同じ所得を得ている状態を意味する。

一般的には0.2〜0.3の間にあるのが普通で、0.5を超えると社会的歪みが大きいとされる。

日本のジニ係数はといえば平成11年全国消費実態調査によると、0.275となっていて特に酷い収入格差があるとはいえない。また、他の先進諸国と比較しても、特に格差があるともいえないようだ。

何を格差と捉えるかで当然議論は変わってくるのだけれど、中央大学の山田昌弘教授によると、格差は「就職」「出産・育児」「高齢化」の3つの段階で発生するという。

確かにどこに就職するかは生涯収入に大きな影響を与えるし、出産・育児期間の労働が困難なのは明らか。更には定年退職後の収入は激減してしまうのが殆ど。

これらに共通しているのは、収入および如何にして収入を確保するかという点。だから格差問題とは、収入を得る手段としての、職業選択と職業流動性(中途採用)および雇用形態と収入の関係をどう考えるかという問題になる。



2.職業選択と職業観

職業選択を行うのに、自分のやりたいことをやれて、それがそのまま十分な収入になるのは理想だけれど、そんなにうまい話ばかり転がっているわけじゃない。みんなどこかで妥協したり、我慢したりしているもの。

新社会人になって、希望に燃えて就職してはみたけれど、こんなはずじゃなかった、と後悔したりするのもまた良くある話。

2008年3月大学卒業予定者の大学生の就職意識によると、会社選択のポイントとしては「ゼッタイに大手企業がよい」と「自分のやりたい仕事ができるのであれば大手企業がよい」が合わせて53.4%に上った。特に近年は「大手企業志向」と「安定している会社」や「一生続けられる会社」といった安定志向が上昇しているという。

また、就職観としては、1990年に同項目の調査開始以来、理系男女で17年、文系女子で16年、文系男子で13年連続で「楽しく働きたい」がトップとなった(全体37.0%、文系男子30.3%、理系男子32.3%、文系女子41.8%、理系女子37.8%)。

これらのことから、会社選択のポイントとして、大手企業志向で、自分のやりたい仕事ができることが相変わらず上位を占め続けている実態が浮かび上がってくる。

さらに、新卒派遣での就労を希望する新卒・第二新卒者の就労意識を調査する目的で、2002年3月に行われた調査によれば、「派遣社員」として働きたい理由として「スキル・専門性を磨くことができる」(18%)がトップに挙げられ、「時間に融通がきく・プライベートを充実させたい」(16%)がそれに続いたそうだ。

これらのことから、日本の中での就職に対する考え方として、大手・安定志向(できればやりたい仕事がしたい)の就職観と、スキル・専門性を身につけて自由に働きたいという2つの就職観があることが分かる。

前者は日本の伝統的な終身雇用制度を背景に、細く長く地道に勤め上げる農耕民族的な考えで安定収入確保重視派だし、後者は自分の腕一本で世の中を渡ってゆく職人的・狩猟民族的な考えで自分の好きな職につきたい派になるだろう。



3.職業の格付け

職業を選ぶのに色々な基準があるのは当然の話。その基準は主観的にはその個人の価値観に委ねられる。しかし、世の中には世間的に通用する職業、職種による格付け、序列があるのではないか、という観点から導きだされたのが、「職業威信スコア」という考え方。

職業威信スコアとは、一般の人々の職業に対する評価の高さの平均点のこと。

数百人から数千人の人々に「いろいろな職業について、あなたは地位が高いと思いますか、低いと思いますか」などとアンケートをとって数十の職業について、「高い=100点」「やや高い=75点」「中ぐらい=50点」「やや低い=25点」「低い=0点」という5段階で評価してもらう。そして、全員の評価の平均点をそれぞれの職業について計算したものが、職業威信スコア。

1995年の調査による職業威信スコアを大きい順に並べると、大よそ以下のとおり。


威信:職種
90.1:医師, 歯科医師
86.9:裁判官,検察官,弁護士
84.3:大学教員
82.5:船長・航海士(漁船以外),水先人, 船舶機関長・機関士(漁船以外), 航空機操縦士,航空士,航空機関士
78.1:会社役員
74.9:国会議員
72.0:自然科学系研究者, 人文科学系研究者, 建築・土木技術者, 農林技術者
70.8:その他の法務従事者, 公認会計士,税理士, 不動産鑑定士, 経営コンサルタント
70.0:アナウンサー(ラジオTV), スチュワーデス
69.0:俳優,舞踊家,演芸家, 職業スポーツ家
67.2:管理的公務員, 地方議員, その他の法人・団体の役員
66.6:文芸家,著述家, 彫刻家,画家,工芸美術家, 音楽家
66.3:機械・電気・化学技術者, 情報処理技術者, その他の技師・技術者
65.7:薬剤師, 獣医師
64.6:デザイナー, 写真家,カメラマン, ファッションモデル
63.6:小学校教員, 中学校教員, 高等学校教員, 盲ろう養護学校教員, 図書館司書, その他の専門・技術職
60.3:宗教家
59.7:助産婦, 保健婦, 栄養士, 看護婦,看護士, 按摩・鍼灸・柔道整復師, その他の保健医療従事者, 社会福祉事業専門職員, 会社・団体等の管理職員
58.3:幼稚園教員, その他の教員, 個人教師
57.9:自衛官, 警察官,海上保安官,鉄道公安員, 消防員, 旧職業軍人
56.9:駅長,区長, 郵便局長,電報・電話局長
56.1:その他の管理的職業従事者
53.1:船大工, 土木・建築請負師, 大工,左官,とび職, 畳職
52.9:保母,保父, 会計事務員, 卸売店主
52.2:記者,編集者, 総務・企画事務員, 営業・販売事務員, その他の一般事務員
52.1:陶磁器工,絵付作業者, 石工, 洋服・和服仕立職, 指物職,家具職,建具職, おけ,木竹草つる製品作業者, 漆塗師,まき絵師, 表具師,内張工, 和がさ・ちょうちん・うちわ職, 貴金属・宝石・甲・角等細工工, 印判師, 製図工,現図工, 映写技士
51.6:料理人
51.3:小売店主, 飲食店主, 旅館等主人・番頭,支配人, 電車・機関車運転士, 無線通信士,無線技術士, 有線通信士, その他の通信従事者
50.4:発電員,変電員, 電気工事・電話工事作業者
49.7:理容師,美容師
48.9:旅行・観光案内人, 自動車運転者, 製銑工,製鋼工,精錬工, 鋳物,鍛造,金属材料製造, 化学製品製造作業者, 金属工作機械工, 鉄工,板金工, 金属溶接工, 一般機械器具組立工・修理工, 電気機械器具組立工・修理工, 自動車組立工・整備工, 鉄道車両組立工・修理工, 船舶ぎ装工(他に分類されない), 航空機組立工・整備工, 自転車組立工・修理工, その他の輸送機械組立修理作業, 時計組立工・修理工, 精密機械器具組立・修理, ゴム・プラスチック製品製造, くつ・かわ製品製造作業者
48.2:受付・案内事務員, 出荷・受荷事務員, 速記,タイプ,キーパンチャ, 電子計算機等操作員
47.9:現場監督その他の建設作業
47.8:郵便・通信事務員, 運輸事務員, 車掌, 鉄道員, 船員
47.2:商品仲立人, 外交員(保険,不動産以外), 不動産仲介人・売買人
46.8:汽かん士,汽かん火夫, 起重機・建設機械運転作業者, その他の定置機関運転作業者
46.5:漁業作業者, 漁船の船長・航海士・機関士
46.2:電話交換手, 郵便・電報外務員
46.1:れんが積工,配管工
45.6:農耕・養蚕作業者, 植木職,造園師, 畜産作業者, 林業作業者, その他の農林業作業者
44.6:パン・菓子・めん・豆腐製造, 酒類製造工
44.3:保険代理人・外交員
44.0:ガラス・セメント製品製造, その他窯業土石製品製造, 印刷・製本作業者, 塗装工,画工,看板工, 洋傘組立工, かばん・袋物製造工, がん具製造工
42.4:集金人, その他の外勤事務従事者, 販売店員, 行商人,呼売人,露天商人, 再生資源卸売人・回収人, 質屋店主・店員,その他販売類似職
42.2:精穀工,製粉工, 飲食料品製造作業者, たばこ製造工
42.0:クリーニング職,洗張職, 製糸作業者, 織布工,紡織作業者, 漂白工,染色工, 縫製工,裁断工, 製材工,木工, 紙,紙器,パルプ製造, その他の技能・生産工程作業
39.9:下宿・アパートの管理人, 看守,守衛,監視員, その他の保安職業従事者
39.0:その他の運輸従事者, 土工,道路工夫, 鉄道線路工夫, 倉庫夫,仲仕, 運搬労務者, 清掃員, その他の労務作業者
38.1:家事サービス職業従事者, バーテンダー, 給仕係, 接客社交係, 娯楽場などの接客員, その他の個人サービス職, その他のサービス職業従事者
36.7:採鉱員,採炭員, 石切出作業者, その他の採掘作業者


やはり、医師や裁判官、大学教員、会社役員、国会議員など、昔から「偉い」と云われているような職業の職業威信スコアは総じて高い結果になっている。昔から、幼少時の俊英を褒めそやすときに「末は博士か大臣か」などと良く云われたものだけれど、だいたいそのような世間的合意があるのだろう。

また総じて、頭脳労働には肉体労働よりも高い職業威信スコアが与えられており、大雑把ではあるけれど、職業威信スコアで55以上からホワイトカラー、55以下からブルーカラーに大別されているようにも見える。

この調査はこれまで、1955年、1975年、1995年と3回に渡って行われているけれど、その中で共通に含まれている職業について、威信スコアの変化を調べてみても、殆ど変化がないという。

高度経済成長直前(1955)、高度経済成長後(1975)、バブル後(1995)の3つの大きな経済環境それぞれについての比較にも関わらず、序列に殆ど変化がないのは驚くべきこと。

経済環境と殆ど無関係の職業に対する価値観、威信がそこに厳然と存在していることを示してる。



4.職業威信と収入の関係

職業と収入、または学歴の間でそれぞれ相関があるかないかについては、いろいろ研究されている。

東京工業大学の今田高俊教授によれば、学歴と所得、職業威信と所得、学歴と職業威信の相関係数を算出しながら、高度成長期の1960年代には各々の間の相関は取れなくなっていたけれど、バブル期の1980年代からは相関が高まり、階層化がみられるようになってきたと述べている。

ひらたくいえば、高度経済成長期はみんな貧しいところからスタートして、なんでもかんでも儲かったから、職種を問わず誰でも給料が上がったけれど、高度経済成長が終わって、バブル経済に突入すると、地価高騰と株式投機による暴騰が起こって、土地や株などの資産を持っている人がどんどん金持ちになり、そうでない人はそのまま置いておかれたことで格差が発生し、それがはっきりと実感されていったのだということ。

各種職業の平均年収と先の職業威信スコアを比較して相関を調べてみると以下のとおり。


職威 年収 職業
90.1 1104.2 医師
90.1 1164.8 歯科医師
86.9 846.00 弁護士
84.3 1125.0 大学教授
84.3 878.20 大学助教授
84.3 766.70 大学講師
82.5 802.40 船長・航海士
82.5 608.60 甲板長・機関員
82.5 1308.0 パイロット
74.9 2896.0 国会議員
72.0 599.10 一級建築士(建築・土木技術者)
72.0 676.80 研究者
70.8 831.00 公認会計士
70.8 831.00 税理士
70.8 527.10 不動産鑑定士
70.0 601.90 キャビンアテンダント
67.2 2291.0 管理的公務員(局長クラス)
67.2 1534.0 都道府県議会議員
67.2 759.80 市区町村議会議員
67.2 1886.0 独立行政法人の長
67.2 1596.0 独立行政法人理事
66.3 401.50 プログラマー
65.7 562.90 獣医師
65.7 512.70 薬剤師
64.6 411.30 デザイナー
63.6 776.90 高等学校教員
63.6 742.40 公立小中学校教員
59.7 341.90 栄養士
59.7 528.90 看護師
58.3 380.80 塾講師
58.3 333.40 幼稚園教諭
57.9 688.20 海上保安官
57.9 813.50 警察官
57.9 717.90 消防士
53.1 381.80 大工
53.1 401.20 とび職
52.2 894.60 記者
51.6 346.70 調理師
51.3 613.20 電車運転手
49.7 266.30 美容師
49.7 266.30 理容師
48.9 402.00 普通・小型トラック運転手
48.9 391.80 自動車整備士
47.8 576.20 電車車掌
47.2 358.70 保険外交員
44.0 330.20 百貨店店員
39.0 222.00 ビル清掃員
78.1 1811.0 会社役員
56.0 435.00 サラリーマン全体平均
58.0 738.30 大企業サラリーマン
35.0 106.00 フリーター
※ 年収は年収ラボWEB(http://nensyu-labo.com/)を参照した。

ここで、職業威信をY軸に、収入をX軸にとって、各業種をプロットしてみると、威信が高いほど、収入も高くなる正の相関があることが分かる。



5.健全な日本社会

ここで、職業威信と収入の関係をより概略化するために、職業威信スコアでのホワイトカラー、ブルーカラーの境界値である55、中小企業サラリーマンの男性平均年収の435万円を原点として、職業威信をY軸に、収入をX軸にとって、ポートフォリオを組んで、4つの象限に大別してみる。

第一象限はホワイトカラーで、平均的サラリーマンより年収が高い職業群
第二象限はホワイトカラーで、平均的サラリーマン年収が低い職業群
第三象限はブルーカラーで、平均的サラリーマンより年収が低い職業群
第四象限はブルーカラーで、平均的サラリーマンより年収が高い職業群

になる。

ここで

第一象限を「エリート」
第二象限を「報われない仕事」
第三象限を「3K業種」
第四象限を「キワモノ」

と名づけてみる。

これでみてみると不思議なことに、日本の職種の殆どは「エリート」と「3K業種」に集中して、「キワモノ」や「報われない仕事」が非常に少ないことに気づく。

「キワモノ」に属する職種が多ければ、社会的尊敬を受けていないのに稼げる職があることを意味するし、「報われない仕事」に属する職種が多ければ、社会的尊敬だけを頼りに、報われない仕事に従事する職種が多々あることを示している。

もちろん理想としては、全ての職種が「エリート」に属すればいうことはないのだけれど、それは机上の空論に近いくらい浮世離れした話。

現実問題として、「キワモノ」や「報われない仕事」に属する職種やそれに従事する人が多いと、持てない者から持てる者への不満が募り、それはやがて潜在的な社会的不安定要素になってしまう。

だから、第一・第三象限である「エリート」「3K業種」に職種が集中して、かつ綺麗な正の相関があればあるほど、社会的尊敬を受ける仕事ほど、収入は多くなるということを意味するから、比較的社会の健全さは保ちやすくなる。

意外であるのが、日本は職人を大事にする国といわれてきた割に、職人の地位が低いこと。これは、X軸の原点を平均的サラリーマンの年収においたことも影響しているのだけれど、本当の意味での職人である、大工、とび職、調理師などが「3K業種」になってしまっている。これは日本における旧来の「職人」の地位が既に平均的サラリーマン以下にまで追いやられていることを意味してる。

もっとも現代社会における「職人」は「研究者」や「科学技術者」なのだと再定義するのであれば、彼らは「エリート」に属しているから、その意味において日本は「職人」の地位が高い国といえるのだけど。

ともあれ、全体の印象としては日本の業種は所謂ホワイトカラーが多く、収入もそれなりに確保され、一部の職種を除く大部分の職種においては、職業威信スコアと収入には強い正の相関があって、比較的健全な社会だといえる。



6.年収300万円の世界

民間調査機関である労働運動総合研究所が先ごろ、首都圏の独身男性の最低生活費の試算結果を発表した。

この試算は、埼玉県さいたま市内在住の25歳男性が都心部に通勤しているものと想定して、

「適切な栄養をえているか」
「雨露をしのぐことができるか」
「避けられる病気にかかっていないか」
「健康状態にあるか」

といった、基本的な健康・生命を維持するための「生活の質」と

「読み書きができるか」
「移動することができるか」
「人前に出て恥をかかないでいられるか」
「自尊心を保つことができるか」
「社会生活に参加しているか」

といった、社会・文化的な「生活の質」を確保できているか、を基準に「最低生計費」を算出したもの。

試算された「最低生計費」は、月額で232,658円となった。年収では約280万円に相当する。

昨今、年収300万生活のススメであるとか、派遣社員の夢が正社員になって、年収300万を確保することだ、などと言われるけれど、この試算からみると、確かに年収300万円というのは、日本で基本的最低限度の生活をするために必要な殆どギリギリのラインであるということがよく分かる。

この調査は、さいたま市内に住む25歳独身男性を想定した調査だから、所帯を持っていたり、都内に在住している人にとっての最低生活費はもっと上になるだろう。

また、同報告では、総務省『平成16年国消費実態調査』に基づいて「最低生計費」未満の若年単身世帯(30歳未満)の割合を計算すると、54.0%にもなるという。

日本のジニ係数は0.275となっていて特に酷い収入格差があるとはいえないことになっているけれど、酷くないのは収入格差であって、収入そのものの絶対値で考えると、若年単身世帯の半数以上は既に「最低生計費」未満ということになっている現実がある。



7.市場原理が働くプロの世界

「グラウンドにはゼニが落ちている」

南海ホークスの名監督、鶴岡一人が選手に語った名言。

プロ契約はたまに複数年契約もあるけれど、基本は一年毎の契約。その年俸は前年度の成績を基準に査定され、契約更改を通じて決定される。

結果が出なければ、即解雇される反面、結果を出せばいくらでも稼げる商売。

とはいえ、プロの世界はやはり厳しいもの。他の人が羨むような大金を稼ぐような選手は一流と呼ばれるほんの一握り。

毎年何十人もの新人選手がプロ入りし、何十人もの現役選手が引退してゆく厳しい世界。

一度や二度失敗しても再挑戦することができる社会を作って行かなければならない、と政府が声高にいったとしても、プロの世界は実力が全て。衰えたら引退するしかない。いくら、トライアウトで頑張ってみても、声がかからなければそこで終わり。

プロ選手や芸術家のような仕事は自分の才能、能力、技術だけが頼りの世界。

プロスポーツ選手や芸術家の職業威信は比較的高い。それぞれの職業威信スコアは以下のとおり。

69.0:俳優,舞踊家,演芸家, 職業スポーツ家
66.6:文芸家,著述家, 彫刻家,画家,工芸美術家, 音楽家

地方議員の職業威信スコアが67.2だから、日本においては相当な尊敬を集める職業だといえる。

ただ、その収入はというと、先に述べたとおり年俸の上限や基準がない世界だけに、その年収は職種によってかなりのバラつきがある。

プロスポーツ選手についていえば、


職種      年俸(万円)
プロ野球選手  3,751
Jリーガー   2,585
競艇選手    1,900
プロゴルファー 1,382
競輪選手    1,082


となっているそうだ。


これでも、プロ野球やJリーグのように規約で最低年俸が決まっていればまだ良い方で、スポーツ種類によっては、環境がととのわず、選手個人がスポンサーになってくれる企業を探し回って漸くプロ契約に漕ぎ着けるというものも沢山ある。

それに芸術家や著述家、あるいは今なら漫画家も入れてもいいかもしれないけれど、プロ契約そのものが存在しない、プロ。即ち、作品が売れてナンボ、買ってもらってナンボの世界になると、最低年俸すら保証されず、文字どおり裸一貫で勝負することになる。

とても厳しい世界。日本の職業でもっとも市場原理な職と言っていい。



8.主観的職業威信

プロとは違って、普通の社会人からみた場合に働きたい職種は、やりたいことができるか、安定しているかは大きなポイント。安定を目指せば大手を選ぶのはだいたい共通する選択だけれど、やりたいことの内容は個々人ひとりひとり違うもの。

そこには一般社会でなんとなく通用している、職業威信スコアとは別に、個人の価値観やその職業にたいする主観的な誇りともいうべき、「主観的職業威信」なるものが存在していることを示してる。

東洋英和女学院大学の岡本浩一教授のグループは、消防官を対象に、主観的な職業威信に対する調査・研究を行っている。

この調査は、消防学校専科教育訓練を受講していた消防官73名に対して「消防の仕事をやっていて良かったと思う経験」について自由記述による回答を求めたもの。

その回答を分類した結果「お礼・感謝されたとき」が41名で圧倒的多数を占め、一般市民との結びつきが誇りの高さに影響を与える可能性があると分析している。

また、同じく消防学校専科教育訓練を受講していた消防官187名を対象とした主観的職業威信の調査によれば、消防官は自分の職業が「いかに周囲の人々から認められているか」や「いかに周囲の人々に関わっているか」あるいは、仕事に対して「自分自身で価値観を見出すこと」によって、自分で自分の職業を評価していると報告している。

この報告はもともと企業の不祥事に対する防止策の検討の一環として、個人の職業意識の高さと事故の起こりにくさの関係に着目し、社会一般で通用する職業威信とは別に主観的な職業威信の存在を想定した上で行った調査だけれど、明らかに「主観的」職業威信がモラルに大きく影響することを示す結果となった。

これは、社会の安定をもたらすという意味において、安定した収入の他に、企業としての自社の社員に対する(主観的)職業威信を高める努力が必要だということを示してる。

逆にいえば、プロ契約する世界でスーパースターとなって大金を稼ぐといった収入の魅力以外に、職業そのものに対しても魅力は見出し、創り出し得るということ。



9.職業の魅力

『やっぱり漫画家という職業で趣味と実益を兼ねられたということがラッキーでしたから。なかなか好きなことをそのまま仕事にできる人はいないですからね。しかも好きな野球を描いていればいいわけですから。・・・「野球漫画で人生終わってもいいじゃないか」というところまで来ましたからね。どの作家よりも恵まれているんじゃないですか?』

野球マンガの巨匠水島新司氏が、雑誌のインタビューで、50年漫画家をやって、未だに創作意欲が衰えませんねと問われた時のコメント。

売れっ子商売である漫画家や芸能人、はてはプロスポーツやプロ契約を雇用形態とした職種を一生の職業として考えた場合、終身雇用が生き残っている職種とくらべてハイリスク・ハイリターンな職であることは確か。

その世界でスーパースターになって、億万の金を稼げる人は別として、そこまでいかない或いはプロとして通用せずに若くして引退を余儀なくされた人にとって、プロ契約はリスクの高いもの。

2007年10月に、リクルートエージェントが、現役プロ野球選手に対して、セカンドキャリアに関する意識調査を行った結果、75.8%の選手が引退後の職業選択と収入面といった「不安」を感じており、引退後の人生目標や生活設計を描けずにいる実態が浮かび上がった。

それでいて、こうした「不安」について相談する相手がいる選手は、全体の半分に満たず、現役から何かしらの備えをしている選手は38%しかいない。また、備えていない選手のほとんどが、何かしらの備えは「必要」と考えているという結果が出ている。

この結果は、一見華やかなプロの世界だけど、職業としてみた場合には、やはりリスクの高いものであることを裏付けている。

それでも、その世界に飛び込んでいくのは、本人に才能があるのは勿論のこと、その職業そのものに夢があって、なによりもそれが好きであるからと考えたほうが自然。

プロ選手や芸能人のように、衰えたり人気が無くなれば、その世界に居続けられない職種において、この職種そのものの魅力というのは大きなモチベーションになる。

これはなにもプロスポーツ選手だけとは限らない。売れないお笑いタレント、売れない俳優、売れない漫画家、売れない画家、世に出て認められる前には、それこそどん底生活をすることだってある。それでもその世界で頑張れるのは、その世界が好きで好きでたまらないということ。いつかはメジャーになるぞと夢を追いかけているときは多少辛いことだって我慢できる。

そこには、一躍スーパースターになれる可能性があるという機会の平等と、結果に対する正等な報酬が支払われる、というプロ契約が存在するのは前提ではあるのだけど、なりよりもその世界に対する魅力を感じている、という大きな要素がある。



10.派遣会社の職業威信

社会の安定という面で考えた場合、個人が社会的犯罪に走らないだけのモラルの維持が求められるのだけど、そのためにはもちろん、基本的な健康・生命を維持したり、社会・文化的な生活を営むための収入が確保されているということが大前提になる。その上で、更に検討すべき項目として、主観的・客観的職業威信をいかに高めるかという問題がある。

派遣会社に問題があるとすれば、雇用形態的には、プロ契約のように、契約期間というものが存在していて、それが過ぎれば雇用関係が解除されるという雇用形態であるにも関わらず、プロスポーツのように、スーパースターへの機会平等がきちんと保証されている訳でもなく、正社員並の働きをしても年収に格差があるハイリスク・ローリターン性にある。

更に、派遣業そのものの職業威信はどうなのかということを考えてみると、客観的にも主観的にも高いところにあるとは言いがたいのが現実。

派遣業は最近の職種であるから1995年時での職業威信スコアには現れていないけれど、派遣先企業の大半が一般的業種であることと、正社員という扱いでないことから、彼ら以上の職業威信スコアがあるとは考えにくい。

また、派遣社員の多くが正社員としての雇用を希望しているというから、主観的職業威信も高いとはいえないだろう。

消防士の主観的職業威信が、客観的職業威信スコアに比べて高いのは「自分の仕事が周囲の人々と関わり、認められているのが実感できていて、自分自身で仕事に対する価値観を見出すことが出来ているから。

職業に貴賎はないというけれど、本当にそのように社会として認知されてようやく職業威信という概念が無意味になる社会が実現する。そのためには、企業やその社員は、社会に貢献するアプローチと実感としてそれを感じるような努力がもっともっと必要になるだろう。

収入の面だけで見てもハイリスク・ローリターンな職種の主観的職業威信は上がりにくいだろう。そういった職種ではせめて、個人の主観的な魅力を上げる努力、すなわちプロ契約のように、頑張った分だけ報われる、一攫千金を手に入れることができるハイリスク・ハイリターンな業界への転換も必要ではないだろうか。

たとえば、派遣業を何年か経験した人はFA(フリーエージェント)のようなものを得て、自分で起業できる仕組みにするとか、そのための資本金を派遣会社が内部留保した部分から出して、起業を助けるようにすれば、野望ある若者は集まってくるだろう。もちろんそうやって企業内起業した会社を自社グループの傘下にでも入れて多角経営化を図ってもいい。

将来自分が起業できると思えば、派遣先の環境を利用して積極的にスキルを身につけようとするに違いない。



11.中途採用と専門性

『「負け組」だからといって卑下することはありません、難しい問題に挑んだことは立派なことだと思います。「負け組」と言われている人々にもこれからチャンスをいっぱい提供して、一度や二度失敗しても再挑戦することができる社会にしていかなければならないと思っています。

 むしろ、「勝ち組」「負け組」のほかに、挑戦しないで待っている人「待ち組」がいると思います。そういう人々も、持てる力を存分に発揮し、一人ひとりの創意工夫を活かすことができる社会にしなくてはなりません。』

February 2, 2006 小泉首相メールマガジンより抜粋


中途採用の決め手になるのは、現実的には即戦力になるか否か。

平成18年度の国民生活白書によると、中途採用で企業が重視する能力を見ると「専門的な技術・知識」が75.6%で最も高く、次に「上司・同僚などとのコミュニケーション能力」が50.8%となっていて、専門的な技術や知識、円滑な人間関係を構築する能力が重視されている。

さらに、企業に評価される専門能力はどのように身に付けることができるかという設問に対しては、正社員やパート・アルバイトに限らず「職場での実務経験」が78%以上と圧倒的に多く、職業能力の多くは就業経験を通じて獲得されると認識されている。

これは、プロの世界でも同様であって、ある調査によれば、プロ野球選手は引退後もなんらかの形で野球に関わる人も多いという。これもその世界で身に着けた専門性が即戦力として生かされている例だろう。

これらの結果から、現在社会、特にプロ契約であるとか、年俸制であるとか成果主義が導入され、職業流動性が高い社会においては、各職場でその個人自身としてスキルが身につけられ、かつそれがある程度客観的に判定できる仕組みや共通認識がないとうまく機能しないことは容易に予想される。

職業訓練という意味でプロスポーツや芸術家・漫画家などを考えた場合、個人スキルという意味においては、プロの世界に入った時点で、最低限そのスキルを身につけていることが多い。

野球やサッカーであれば、アマチュアスポーツが盛んで、甲子園や国立競技場といった華やかな舞台も用意されている。アマチュアの時点でもプロに迫る技術を身につけることができる。また芸術家、漫画家だったら、若いうちからその道に励むことで技術を向上させていっているから、世に出るときには既にプロの実力を備えている場合が殆ど。

そういった技能は若いうちに義務教育とは別に、平行して身に着けていく機会が、たとえ独学であってもあるから、そうしたことが可能になる。

それに対して、一般的な職種における職業訓練は、その職に入ってから始まることが多い。世の中には、高等教育機関である、専門学校なり、各種ビジネススクールなんかは、そうした職業技能を身につける機会を提供してはいるのだけれど、まだまだ多くの人の利用するところまで普及はしてなくて、職業訓練は主に企業に任されている。

政府は再チャレンジできる社会にしていかなければいけないというけれど、こうした社会一般で通用するスキルをいかにして身に着けていくかということももっと重視していく必要がある。



12.自己評価と他己評価

主観的職業威信はそのまま自己評価につながり、客観的職業威信は他人から見た評価、他己評価になるけれど、ここで自己評価をX軸、他己評価をY軸にとって、評価という切り口でもポートフォリオを作ってみる。

まず、自己評価が高く、他己評価も高い層は、自他共に評価が高い層。この第一象限に属する層を「エリート」と名づける。

次に、自己評価は低いけれど、他人からの評価が高い層。自分ではそれほどとは思えないのに、人様は素晴らしいといってくれる。この第二象限に属する層を「栄光無き天才」と名づける。

そして、自己評価も他己評価も低い層。この第三象限に属する層を「負け犬」と名づける。

最後に自己評価が高いけれど、他己評価が低い層。これは次と他の評価にギャップがあるのだけれど、世間的評価が低くても主観的に高い評価を与えている層。良くいえばゴーイング・マイウェイ、悪く言えば独り善がり。この第四象限に属する層を「わが道を行く」と名づける。


第一象限:自己評価=高、他己評価=高:「エリート」
第二象限:自己評価=低、他己評価=高:「栄光なき天才」
第三象限:自己評価=低、他己評価=低:「負け犬」
第四象限:自己評価=高、他己評価=低:「わが道を行く」


個人が幸せな状態というのは、自分の評価と他人からの評価が一致している状態。だから、第一象限である「エリート」はそれこそ自他共に認めるエリートになるから、不満の出よう筈もない。このバランスが崩れたところから不満は生まれてゆく。

特に、自己評価が高いのに他人からの評価が低いと、本人は自分が認められていないと感じて不満を覚えるようになってゆく。尤もこの構図は他の象限でも同じであって、たとえ「エリート」に属する人であっても、その自己評価、プライドが異常に高くて、現在の処遇をはるかに超えた自己評価を持っている場合には、その他の象限に属する人からみれば羨むような境遇にあるにも関わらず、いつも不満を覚えていることになる。

ただ、それでもこのプライドが良い方向にでる時もある、それは自己評価と他人からの評価それぞれを客観的に自己観照できてかつ、他己評価に流されないだけの強さがある場合。代表的なものは第四象限の「わが道を行く」にいる人たちがそれ。



13.わが道を行く栄光なき天才たち

「世の人はわれを 何とも言はばいへ わがなすことは我のみぞしる」

維新回天の立役者、坂本竜馬の句。

自己のプライドがいい方向に発揮された「わが道を行く」人たちは自己評価に絶対の自信があって、他己評価などものともしない強さを持っている。ゴーイング・マイウェイな人たち。

しかし、たとえ「わが道を行く」に属していたとしても、自己評価というものが、他人様の目を通して評価するものであった場合は少し事情が異なる。自己評価といいながら、本当の意味で自分で自分を評価することができず、他人様の評価を頂いてようやく自分が評価をできるという考えになるから。

この場合の自己評価は、確固たるものじゃなくて、株価のように他人様の評価によって上がったり下がったりする不安定なものとなる。

たとえば、自分の職業の偉さを鼻にかける人がいたとして、その人の自己評価を考えてみると良く分かる。

自分の偉さというものを職業に依存する態度は、自分の評価を他人に委ねている事と同じ。他人様に認めてもらって安心できて、そしてようやく自分を認められる。そんな評価。

だからもし、脚光を浴びていた自分の職業が、時代の流れや何かで落ち目になってしまうと、その分他人様の評価が得られなくなってしまうから、それに連動して自己評価も低くなってゆくしかなくなる。他人に依拠した自己評価というものは、それくらい不安定でちっぽけなもの。

そんな他人に依存した自己評価がただ萎むだけだったら、まだ他人様に迷惑をかけない分まだマシではあるのだけれど、最悪なのは、自分が認められないのは世の中が悪いんだとか、こんな境遇になってしまったのはあいつのせいだ、とか言って逆恨みの方向に行ってしまうこと。

萎んだプライドが自分に向かえば自殺を選ぶし、逆恨みが外に向かえば他人に危害を加えてしまうことにもなりかねない。

本当の意味で「わが道を行く」人たちはそれとは違って、自分で自分に絶対の信頼と誇りを持っているから、他人様の評価が上がろうが下がろうが全然関係ない。自分の価値は自分が知っている。それこそ坂本竜馬に通ずる気概と強さ、何より本当の自信を持っているから。

それでも世間は良くしたもので、いつまでもそうした人をほったらかしにはしないもの。やがては見出され、引き上げられ、正当な評価を受けるようになってゆく。中には、宮沢賢治のように、生前ついに認められなくて、死後ようやく評価が高まる人だっているのだけれど、いつかは正当な評価が与えられている。

この意味では、第二象限に属する「栄光なき天才」に居る人たちにも似たようなところがあって、自らの価値を自分では知らない、または認めていないにも関わらず、世間様はちゃんと評価していることを示してる。

もちろん、誤解されて「偉い人」に祭り上げられてしまって、実はそうじゃないんだ、と冷静に自己評価している、というケースもあることもあるのだけれど、いずれにせよ、そういうものはやがて時と共に、適切な評価に修正されてゆく。

要するに、第四象限の「わが道を行く」人と第二象限「栄光なき天才」に属する人は、共に自己評価と他己評価にギャップが発生している状態なのだけれど、どちらも時間とともにその評価は修正されていくことになる。

なぜかといえば、世間を永遠に欺き続けることはできないから。

嘘はいつかバレるし、真実にはいずれ光があたる。

わが道を行く人も栄光なき天才たちも、その中身が真実である限り、正当な評価はいつか与えられる。



14.好きこそものの上手なれ

パレートの法則というものがある。

これは、イタリアの経済学者パレートが発見した所得分布の経験則で、別名2:8の法則とも言われるもの。自然現象や社会現象を観察すると、その分布は決して平均的なものじゃなくて、ばらつきや偏りがあって、全体の約2割ほどが、残り8割に大きな影響を持っていることが多いという経験則。

たとえば、実例と照らし合わせて、以下のようなことが良く当てはまるという。

・商品の売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している。
・仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。
・故障の8割は、全部品のうち2割に原因がある。
・所得税の8割は、課税対象者の2割が担っている。
・全体の20%が優れた設計ならば実用上80%の状況で優れた能力を発揮する

経験的にどんな集団においても、2割のエリートと8割のそれ以外に別れてしまうというのがパレートの法則。たとえエリートだけを集めた集団を作ったとしても、2割の「物凄い超エリート」と8割の「普通のエリート」といった具合にその中でも序列が出来上がるという。

実際、世の中を見てみても、現実はピラミッド構造。社長は普通は一人しかなれないし、総理大臣だってそう。どんなに優秀な人だって、最後にはたったひとりしか生き残れない。そうやって生き残った一人だって、任期がくれば後進に道を譲らざるを得ないし、定年になれば退職することになる。

だから、第一象限は「エリート」だから"勝ち組"だとか、第二・第四象限の「栄光なき天才」・「わが道を行く」は"待ち組"で、第三象限の「負け犬」はその名のとおり"負け組"なんだ、とかいう議論は、その場で時間を止めてみれば、傍からはそう見えるかもしれないというだけの事にしか過ぎなくて、主観的な価値とはまた別のもの。

だから、どのような立場であれ、客観的な自己省察によって、自己評価と他己評価を冷静に見つめていく視点は、幸福に生きるためにはとても大切なこと。

たとえそれによって、自分が底辺に属すると自覚することになったとしても、それは、その序列を自分が土台として支えていることを意味することでもあり、他の人に救いを与えている面もある。決して自己犠牲をすすめているわけではないけれど、そういう考え方もできなくもない。

それに、好きなことを職業にしていると収入や威信、他己評価はあまり気にならなくなる。主観的職業威信は他の要素を相対的に小さくする効果がある。

だから、新卒学生が、自分の適性を確かめながら、好きな仕事をやりたいというのは、ともすれば、世間を甘くみていると見えることがあるかもしれないけれど、世の中を支え維持していくにはそれはそれで重要なポイント。

世間的評価を無視して、親の反対を押し切ってでも好きなことをやり、職業にする人はいつの世にもいるものだけれど、そういう人は既に「わが道を行く」素質十分で、その人なりに才能を発揮して世の中に貢献していく道が拓かれている。たとえそれが茨の道であったとしても主観的職業威信がそれを乗り越える力になることだってある。



15.今を変える、未来を変える

収入とか、学歴とか、職業であるとか、そういった価値基準もなくはないけれど、それが全てである訳がない。

職業威信スコアは世間一般で思われている職業評価。世間的・建前の世界で通用している価値観にしか過ぎない。

だけど、近所付き合いの世界や、知人友人、家族といった内輪の世界では、そんな「建前」は脇に追いやられ、性格や人格といった、もっとその人本人に即した評価がされている。

おそらく昔は、どんな職業についている人も、建前上の職業威信スコアより主観的職業威信が高く、それを規定するところの家族や地域共同体、友人・知人からの支持に支えられていたに違いない。人はパンのみにて生きるにあらず。

真の友人や隣人、そして家族は別にその人の収入や職業と付き合っているわけじゃない。相手にしてるのは当人そのもの。そこは安寧の場所。

だから、もし、格差だけが社会の不安定性の原因であるならば、それは、地域共同体や友人・知人、そして家族の絆といった血の通った交流の中で育まれる心の支え・安定機能が喪失してしまっていることになる。

家族の存在はとても重要。社会的評価に関わらず、その当人にとっての親は親だし、子は子、貴方が存在してくれているその事実がかけがえのないこと。居てくれることこそが最大の評価の対象。

家族の中では、社会的評価なんて2の次、3の次。家族は世間的評価と基本的に無関係の場であるけれど、そうであるが故に人々の心は支えられている。

自分は自分の人生を、他人は他人の人生を生きることしかできない。他人の人生に成り代わることなんてできはしない。当たり前のこと。

格差を嘆くということは、過去への悔恨か生まれを呪うことに等しい。

だけど、過去は反省材料にしかならないし、生まれを呪っても空からお金が降ってくるわけじゃない。過去を悔やみ、生まれを呪っている人の心はいつもその過去の一点に囚われている。

主観的には、いつまで経ってもその過去に生きていて、時計の針はぴくりとも動いていない。自分の人生を呪い、他人の人生を羨むことからは何も生まれない。

その悩んでいる時間を、他のもっと有益なことに使うことができたなら、その人は過去の呪縛から解き放たれる。心の針は時を刻み始める。

どんな人であっても、人ひとりでは生きていけないし、世間からみえる姿がその人の全てじゃない。未来を変えるには今を変えてゆくことからしか始まらない。如何なる境遇でも光を放つ生き方をした人は、後世の人々への勇気になる。

たとえ、自分自身は全く夢を描くことができない境遇であったとしても、そんな中でも力強くその人自身の人生を生ききることができたなら、その姿はそのまま他の人々への希望。

太平洋戦争時のゼロ戦のエースパイロットであった故坂井三郎氏は戦場で生き残る人、エースと呼ばれる人はとにかくあきらめることがなかったという。いかんと思ったら、ぱあっと死んでしまうような虚偽の武士道の虜ではなかった、とにかく粘って粘って粘りぬく、その執念深さがやっぱり運につながっているのだ、と。

どんなに格好が悪くても、生きてさえいれば、次のチャンスを待つことができる。

「物に打ち込む、ということは、私流に言わせてもらえば、命をかけるということであり、命がけでやるつもりになり、それを実行する勇気を持ち得るなら、未来に光明はあると思うんですよ。なぜなら、命がけでやる勇気を持って行えば、人は胆力を養うことに成功し、ハラがすわっていれば、見えないものも見えてくるはずですからね。」 坂井三郎



16.祝福のこころ

『なぜ人を妬んだり、うらやんだりするかといえば、「自分にも同じことができる」と思うからなのだ。人は自分が絶対に不可能なことを成し遂げた人に対しては賞賛や尊敬こそすれ、嫉妬することはない。』

第十七世名人の資格を持つプロ棋士、谷川浩司九段の言葉。

嫉妬心が起こるのは、それが自分の理想の姿だから。だから、嫉妬心を持つということは、自分で自分の理想の姿を否定していると同じ行為。もしも自分の理想へと導く手が差し伸べられることがあったとしても、嫉妬心を持っていると、自分で自分の理想を否定しているのだから、その導きの手を自分で払いのけてしまうことにもなりかねない。

それよりは、その理想の姿をしっかりと肯定するべき。自分の理想を積極的に認めるべき。自分の理想を体現している人を祝福する姿勢が大切。

自分の理想をいつも肯定し、願い続けていればこそ、救いの導きを素直に受け取ることができる。祝福は、祝福を送る相手だけでなく、自分の心をも潤してゆく。格差が気になるのは、それが自分の理想だから。だからこそ、その相手を妬むのではなくて祝福する。そうやって祝福のこころで自分自身を満たしてゆけばいい。

境遇はどうであれ、たとえ無一物であったとしても、他人に分け与えることのできるものを、みんな持っている。

それは、自分の人生という名の希望。

いかなる環境においても、自分で納得できる自分だけの人生を生き切ること。それこそが誰にでもできる、後世への最大遺物。

客観的、世間的評価が高いから幸せになるのだという考えではなくて、自己信頼と客観的自己省察によって、主観的に世間的評価を超えて、社会をより良くしてゆく生き方をしてゆくこと。

あなたの生き方に感銘を受けた人がどんどん幸せになっていったとき、あなたは幸福の生みの親であり、成功者の世界の住人なのだ。


(了)

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この記事のURL | 2008.08.16(Sat)00:04 | 未分類 | Comment : 00 | Trackback : 01 | 
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