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利潤について考える 2007.12.31
最近、日本でも格差社会が叫ばれ、新自由主義というものに疑義が呈されるようになってきた。
新自由主義(ネオリベラリズム)とは、国家による福祉・公共サービスを縮小して小さな政府と民営化を進め、大幅な規制緩和と市場原理主義を重視する経済思想のこと。
要は、勝者は徹底的に勝って稼くべし、勝者の総取りを是とする思想。政府は面倒をみないから、自分の才覚と責任において、自分の面倒をみよ、ということ。
これがなぜ問題視されてきたかというと、格差が明確になってきたから。
なぜ格差が表れるかというと、人の能力や才覚は同じではないし、才能にも差があるから。当たり前といえば当たり前。
政府をどんどん小さくしていって、富の再分配をまったくしなくなれば、人の能力は殆どそのまま数値化されて、そのまま収入になってしまう。そうなると技能や才能がある人ほど稼ぐことになるのは当然の理。
だけど、全ての人が、自分でも気づいていない潜在能力を含めて、自分の持つ才能を100%発揮できるとは限らない。将来、どんなに天才になる人であったとしても、生まれたての赤ん坊が、その天才性を発揮するなんて無理な話。才能を発揮するためには最低限の訓練は必要。
能力を発揮できるようになるには、能力を発揮できるための環境を整えるのは勿論のこと、能力の基礎となる技能や知識をまず身に着けなくちゃならない。
それらを整えるためには、やはり経済力がモノをいう。
元が金持ちだと、簡単にこれらの技能・知識を身につける環境が得られる。金持ちでない人は才能を発揮できるようになれないかといえばそうでもなくて、金の代わりに時間を支払うことで代償できる。劣悪な環境でも時間をかけることで必要な技能を身につけることはできるから。たとえ遅咲きの花になってしまうとしても。
だけど、時には才能が開花して世に出る前に寿命がきたりすることもあるから、金持ちと比べてハンデがあることはある。
2.ノブレスオブリージュの嫉妬緩和効果
億万長者以上の大金持ちが富を使うとき、個人でその富を全部使うことなんてできないから自分の分が終われば、他の人に使ってもらうしかなくなる。具体的には、子孫に資産を残すとか、慈善事業してみたり、寄付してみたり。
外国の億万長者はよく何々財団とか起こして慈善事業を起こしてみたり、そんな団体に多額の金額を寄付したりする。それをまたノブレスオブリージュだとして受け入れる風土がある。
実はこれが、金持ちでもなく、特に才能もない人達からの嫉妬を緩和する効果があるのではないかと思っている。
自分には、到底手の届かない大金持ちではあるけれど、その分、寄付したりして、恵まれない人たちに手を差し伸べているから、まぁ許してやろう、と。
たとえば何かのギャンブルで、勝者が掛け金を総取りしたとしても、敗者に奢ったり、いくばくかキャッシュバックしたりして、配慮してやれば、敗者の不満は多少なりとも解消される。
日本の場合は、外国ほど慈善事業や寄付が盛んじゃない。外国の大富豪クラスほどの金持ちがそんなに多くいないということもあるけれど、日本は社長を始めとする給与水準が低く抑えられていて、平社員と社長の年収差は50倍もない。
それに、多少は緩和されたとはいえ、資産の相続税も厳しくて、富豪であり続けることも難しい。その分、一般社員の給与が手厚かったり、福利厚生や社会保障を充実させたりしてる。
日本の場合は、金持ちに対する嫉妬は、金持ちを作らないことで抑えているのだと思う。
だから、日本で欧米型の新自由主義を根付かせようとしたら、金持ちの慈善事業や寄付活動を推奨し、受け入れられるようにしないと湧き上がる嫉妬を抑える術がなくなる危険がある。
要は、親が総取りするけれど子の面倒をみる社会なのか、勝者が勝ちすぎないようにする社会なのかの違い。
金を稼ぐこと、又は稼ぎすぎることは良いことなのか悪いことなのかという議論があるけれど、金を稼ぐこと自体は善でも悪でもない。大切なことはその金の稼ぎ方。
どれだけ稼いだとしてもそれが真っ当な方法で、世の中に貢献して、多くのひとびとを幸福にするとき、その利益は是とされる。問題なのは、人を不幸にしてでも利益を得ようとしたとき。
3.才能の開花
ただ単に稼ごうとするなら、徹底的に安い労働力を使って、資源もケチって、生産コストを限りなくゼロにすればいい。
中国のニセモノとか品質の問題は、稼ごうとするあまり、資源そのもののコストもケチった結果。
これらの製品は多くの人を危険に晒しているから、世界中から非難されている。購買者の幸不幸を考慮することなく稼ごうとする姿勢が非難されているということ。
新自由主義は、個人の能力がそのまま収入に反映される社会を生む。その能力とは、つまるところ、富を生み出すところの価値を生む能力。
今の社会は知が富を生む社会だから、それに優れた才能を発揮できる人が富を生む。
お金自身は、価値中立のもの。お金単体で価値がある訳じゃない。
お金を生み出す元になった、世の中の役に立つ価値こそが価値あるもの。その価値を使い易く、また客観的に誰にでも分かるように、便宜的に置き換えたものが貨幣。
新しい考えや製品が世の中に貢献して、多くのひとびとが幸福になるとき、それに価値が発生して、富を生む。まず価値が先にあって、それに対して貨幣価値が与えられてゆく。
だから、本当にみるべきものは価値。世の中が求め、役に立つところの価値を如何にして見出し、発掘していくか。人の才能をどうやって開花させていくかが本当に大切なこと。
4.お金を生みだすもの
石油や天然ガスといった天然資源を生み出しているのは地球や自然だけれど、それら天然資源がなぜ価値を持つかといえば、それを必要とする人間がその資源に価値をつけているから。
もし、現代文明を支えるエネルギー源が原子力や水素にシフトしたら、石油の価値はうんと下がる。価値をつける主体はあくまでも人間。
また、実物ではない価値であっても、その価値がどれぐらい世の中の役に立つか、人々を幸せにするか、といった中身によって価値の高下が付けられている。
価値は、一度、貨幣価値にいちど換算されて、その金が、新しく人を雇ったり、時間を節約したり、有益な情報を得たり、モノや場所を買ったり借りたりして、他の価値にそれぞれ転換されて使われる。
価値は運用できるものという観点からみると、一旦貨幣価値に換算した価値が、新たな次の価値を生むものに投資できてはじめて、その価値は運用できたことになる。
価値を運用できる社会では、お金を介して転換されたひとつの価値が人やモノ、場所や時間、情報といったものに転換され、それらが、またさらに別の価値を生むようになる。
たとえば、ひとつの価値を時間と場所に転換した場合、それを研究・生産施設として使用すれば、新しい製品開発の場となって、別の価値をもつ新製品を生むこともできるし、モノや情報に転換した場合は、文化の一部となってそれを押し上げて、新たな文化を生む土壌になることもある。
価値を受け取って、それを別の価値に転換・投資して、利子を生むという順序が大切。
金融先物とか、株の世界なんかでは、たとえば、Aという資源が不足するから、値が上がりそうだとか、何か新しいものが開発されてそれが売れそうだとかいう、情報を元にした「何々しそうだ」という予測を利益に結び付けている。
この「何々しそうだ」に基づいた売買行動は、価値の運用という観点からみたら、価値の先食い、価値の借金にあたる。まだ価値が世に現れる前に利益を手にしてるから。
だから、手にした利益を、その価値を手にしたと同じ程度以上に新しい価値を生むことに使われないと、価値を運用したことにはならなくなる。
もしも価値を運用しない行動、価値を貨幣換算したお金をただ使うだけの消費行動の社会があったとしたら、その社会では価値というものは、価値を生み出せる人、才能が開花した人だけしか生み出せないことになる。
そんな消費行動が延々と続くと、価値を生める新しい人が次々と登場しない限り、やがて価値を生める人が亡くなるにしたがって、先細ってゆくことになる。
価値を運用して、価値を生める主体をどんどん生み出していけない社会は、時間とともに疲弊してゆく構造を持っている。
5.人を儲ける、価値を儲ける
お金はただ儲けるだけでは駄目。価値を生む主体を永続的に生み出せるようにしないと、やがてお金自身も儲けられなくなる。
価値を生む主体は人。価値を価値として値段をつけるのも人。人の才能を見出し、開花させて伸ばしていけるような社会、それを維持していける社会が価値を生み続ける。
だから、お金ではなくて、人そのものを儲ける方向にいかないと価値は膨らまない。
天然資源は減価償却して消えるけれど、人は生産しながら自分で自分自身を儲けることができる。
人を単なる労働者とみるか、利子を生む価値を内包する存在とみるかの違いといってもいい。人を単なる労働力としてだけみるのなら、そのうちロボットに取って代わられる。
商売するたびに人やそれに付随する文化が儲かる企業は、全体としての価値を有む力が複利計算で増大してゆく。それは、お金を生む源流、価値の泉を儲けていく行為。
松下幸之助は、松下電器が小さいころは、従業員の人に、「お得意先に行って、『君のところは何を作っているのか』と尋ねられたら、『松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです』と答えなさい」ということを良く言ったという。
人を儲けるということは、その人の才能が開花して、能力が磨かれ、考え方が豊かになること。そしてそれらは文化をも豊かにしてゆく。豊かな文化はまた新しい価値を生む土壌となる。人を儲けることで、人も価値も増大してゆく。
6.国民総幸福量
「国にとって大切なのは国民総生産より国民総幸福量なんです。」
1976年、当時まだ21歳だったブータンのジグメ・シンゲ・ワンチュク国王は、ある国際会議でこう演説した。
「国民総幸福量」とは、経済成長自体が国家の目標とするのではなく、国民の幸せを目標とする指標。経済成長は幸せを求めるために必要な数多い手段のうちのひとつにすぎず、富の増加が幸福に直接つながるとは考えない概念。
ブータンの政策の中では、国民総幸福量には4つの主要な柱があるとされている。それらは、持続可能で公平な社会経済開発、自然環境の保護、有形、無形文化財の保護、そして良い統治。
鎖国政策を貫いてきたブータンは、1952年に「開国」したけれど、節度ある開国を基本として、農業と森林を守り、あえてスローな近代化を選んだ。
基本に人が幸せになることにあるのだから、幸せが確保・増大しているのであれば別に急ぐ必要はない。
スローな近代化の中でも、国民は新しい概念や技術をそれなりに学んでいる。テレビ放送が始まったのは1999年のことだけれど、国民の様子を見ながら、欲望に振り回されることのない着実な近代化を進めてる。人の不幸から富を得るのではなく、国民の幸福な状態を壊さないように、絞りをかけながら現代文明を受け入れていく政策。
ただ、ブータンは王国で、経済力も一人当たりGNIでみれば760米ドル程度と、世界的にみれば全然だし、人口も約92万人と少ない小国だから、スローな開国政策でも比較的やりやすかった面はあると思う。
民主化された大国になればなるほど、他国との相互依存度も高くなるし、民意も反映しないといけないから、たとえば日本で、まったく同じやり方をやろうとしてもかなり難しいだろうとは思う。
だけど、政策の中身はともかくとして、お金ではなくて、幸せそのものを追求することを主眼においた政治・経済活動はこれからの時代を予兆しているように思える。
7.価値を生み出す存在
ブータンでは、研究所を設立して国民総幸福量を指数で表す研究をしているけれど、多分に主観に属する幸福度を数値で表すのは難しい。
ひとつの指標として、
幸福(満足度)=実現度(達成度)÷欲望の大きさ
があげられているそうだけれど、たとえば、国民が欲望のまったくない仙人のような人たちばかりでありさえすれば、なんにもしなくても幸福度は極大になってしまう。
つまりこの式は無為自然が最高の姿となる指標。ある意味、調和の極限の姿だけれど動的じゃない。無為自然の状態から進歩の力を得るのは難しい。
幸福というものをいかなるものとして捉えるかで幸福度の算出式は当然変わる。
幸福というものを心の平静とだけ捉えると、無為自然の生き方が一番いいことになる。自分が自然なのか、自然が自分なのか分からなくなるほど自然と一体化した生き方が、いちばん心が乱れない。もちろん、そういう幸福があることは否定しない。
だけど、幸福を自己の能力や認識力の拡大と捉えると、自分の価値を高めることが幸福を得る道になる。
人を儲けるということは、その人の才能が開花して、より多くの価値が生み出せるようになるということだから、その人が成長していくことが、自己拡大に繋がっていって幸福感が生まれていく。
人が成長していくには、適度な負荷と最適な目標と達成感が必要だけれど、それを行っていける社会になるためには、まず、人が新しい価値を生み出せる力を内包する存在だとみれなくちゃいけない。それがあって初めて、それを生かす場としての、価値を生みだしていける職業や社会がある。
人をただの労働力だとみて、人を儲けることを考えなければ、やがてその社会は衰退していく。
ロボットと違って、人が人であるがゆえの最大の力は創造性。なにかを生み出す力。それは神にも等しき力。だからこそ人は尊い。
その尊さを最大限に尊重して活かしていく時に、人が儲かり、社会が儲かり、幸福度が増大する社会になるのだと思う。
(了)
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自己啓発で能力開発,利潤について考える | 2008.01.03
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