日比野庵 離れ

日比野庵の離れにようこそ。 日比野庵 本館のつれづれをまとめてコラムにしています。 不定期更新になります。記事総一覧は右カラム下からご覧になれます。

きてくれたひと
いまみてるひと
最近の記事
2008年の記事
2007年の記事
プロフィール

Author:日比野寿舟

スカウター : 日比野庵 離れ
日比野庵 本館/寿亭 
外部リンク
最近のコメント
最近のトラックバック
被リンクチェックツール
被リンク重要度チェックツール
- hanasakigani.jp
URL
被リンク数一括チェックツール
- hanasakigani.jp
キーワード
ブログ内検索
月別アーカイブ
カテゴリー
人気ブログランキング
RSSフィード
TOP > 未分類 > 縁起のレイヤーが結ぶ世界

縁起のレイヤーが結ぶ世界   2008.01.31

1.縁起のレイヤーからみた国のかたち

縁起のレイヤーと六道輪廻からみた国と世界の関係について考えてみたい。

近代国家の成立は、絶対王政の下での中央集権国家による三十年戦争の終結後、ウェストファリア条約を契機に成立した主権国家体制を母体として、18〜19世紀に市民革命を経たのちに欧州で成立した、国民国家がそのはじまりとされている。

国民国家は、領域内の住民を国民という単位に纏め上げて成立した国家のこと。

この国家の構造を「縁起のレイヤー」構造の視点からみてみたい。

縁起のレイヤーは、人と人の縁による繋がりを縁の種類によって層別で分けたもの。大きく分けて下層から「血縁」「地域・知人」「経済」「思想」の4層に分けている。このうち、「血縁」「地域・知人」レイヤーの二つを下位レイヤー。「経済」「思想」レイヤーを上位レイヤーと便宜的に呼ぶことにする。

この構造では、下層にいくほど、個人的な縁になっていくので、縁の繋がる範囲はどんどん狭くなる。縁の繋がりには、時間軸で繋がる縦糸と空間軸で繋がる横糸とがあって、縦横に縁起の糸で個々人を結ぶことでいわゆる「縁起の織物」を作っている。

国民国家が成立する前には、地方の王がその地域を仕切っていたけれど、それに対して、昔の個人は下位レイヤーでの活動が世界の殆どを占めた。上位レイヤーで活動して縁を繋げたのは、国王や宗教的権威存在ぐらい。

封建制は、下位レイヤーでの、ある領域のまとまりを、上位レイヤーまで存在を許された一部の特権階級によってまとめていった国家形態。

臣民・庶民は、その特権階級の許す範囲内で経済レイヤーと思想レイヤーへの参加が許されていたけれど、これだと王様の能力が国の能力となって、国としてそれ以上は強くなれなかった。

だから、近現代になって国民国家が成立してくると、国民にも上位レイヤーへの進出を許し、引き上げることで、国力の強化を図った。

これによって、これまで制約されていた経済レイヤーと思想レイヤーの通信量が増大し、活性化し始めた。富の拡大と人口の増加および国民の国政への参加を促し、国力は増大した。

下位レイヤーからきちんと順を追って縁起の糸を紡いでいくことは、国民国家を形成するためには重要な要素。国民ひとりひとりの衣食住がきちんと確保されてこそ、次の段階に行けるから。



2.六道輪廻と縁起レイヤーの関係

国の発展段階は六道輪廻の世界観と比較してみるとなかなかよく当てはまる。

この六道の段階おのおのについて、それらを形成または活性化している縁起レイヤーを重ねて考えてみると丁度正比例のような関係になる。

六道を下から大きく3つの段階に分けてみる。すなわち、地獄・餓鬼道と、畜生・修羅道。最後に人間・天道。

まず、地獄・餓鬼道の段階の国は、半ば無政府状態。地獄道は戦争、紛争、治安悪化で常に生命の安全が脅かされている状態だし、餓鬼道は常に食料と水が不足し、いつも飢えに苦しんでいる状態。被食料援助国や難民キャンプが国内そこかしこにある。まずこれを何とかすることが政府の第一課題になる。

この段階では、国民一人ひとりが上位レイヤーの存在として活躍することはほとんどありえない。生きてゆくのが精一杯。頼れるものは親族・友人といった個人的繋がり。すこしマシな状態であっても地域共同体で助け合ってなんとかするのが関の山。

次に、畜生・修羅道の段階の国は、いわゆる強権政治体制。畜生道は強盗・略奪・犯罪が横行し、法治が機能していない状態になるし、修羅道は利権・汚職・賄賂が蔓延り、民度が成熟していない状態になる。

これを国として束ねようとしたら、法治が十分に利かないから力づくで押さえつけるしかない。ここでは、一部特権階級だけが上位レイヤーに入ることができて、おいしい思いをする。特権階級が名君であれば、国民のための政治をして国をもう一段階引き上げることが可能になるのだけれど、大多数の国民はやはりまだ下位レイヤーを主体として活動してる。

だからこの段階での国政の中心は、統治機構としての国家インフラの整備と国民の生活と民度の向上が中心になる。

最後に人間・天道の段階。要するに先進国のこと。人間道は民度がある程度成熟し、経済的も発達し、文化・芸術活動が行われる状態。天道は、民度が最高度に発達し、経済力を発揮して他国への援助や寄付、慈善事業などが恒常的に行われている状態。

これらが国民レベルで行われるようになっているのがこの段階。だから国民のかなりの数が上位レイヤーで活動することができて、しかも自主的な活動になってきている。この段階での国の役目は下位、上位レイヤーを共にうまく機能させて維持してゆくこと。国民の上位レイヤー活動に政府が直接口を挟むことがだんだん少なくなって、いかに気持ちよく活動してもらえるかといった環境整備が中心になる。国民に対して、国はだんだん黒子的役割になっていく。



3.縁起の縦糸と横糸

縁起のレイヤーでは、縦糸が時間軸で繋がる縁だし、横糸は空間軸で繋がる縁になる。これを国に当てはめれば、縦糸の長さは国の歴史になるし、横糸の長さは国土の広さにあたる。

この縁起のレイヤー構造を作っている縦糸と横糸で通信されるデータには違いがある。

縦糸は時間軸の縁起の糸だから、後世に伝えるべきもの、伝統とか風習とか後世に残さなければならないと思っているものを代々伝えていく。それによって歴史と伝統が伝えられ、残されていく。

これに対して、横糸は空間軸の縁起の糸だから、これが切れると国の秩序が維持できなくなる。だから横糸で伝えられるものは、人間関係の調整とか、国内法とか、秩序を維持するための情報が伝達される。

国が国として成り立つためには、縁起の縦糸と横糸がしっかりと編みこまれて繊維をつくって、簡単には破れない織物にしなくちゃいけない。

横糸は国の秩序を支えるもの。だから政府は国民の生命と財産を守ることで、税金を払ってもらう、いわゆる「社会契約」を結ぶことで、国としての統制を保とうとする。

だけど、あくまで「社会契約」だから、たとえば福祉政策や公共事業なんかがうまくいかないと、国民の意識は国家からどんどん離れてゆく。

昨今の社会保険庁の年金問題なんかは、上位レイヤーの横糸のつながりをどんどん弱くする。あれが続けばだれも、年金積立を払おうとは思わなくなる。年金という社会契約を国が反故にしていると思うから。

それに対して、社会契約ではない方法で国への帰属意識を持たせる、うんと「安上がり」な方法がある。それは縦糸を使うやり方。

縦糸の一方の端をぎゅっと縛ってしまえば、多少横糸が緩んでいても、繊維がほどけることはない。さらに縦糸同士を絡ませてしまえば、横糸すらいらなくなる。

たとえば、建国の精神の崇高さを訴えて、縦糸の一方の端を縛ってみたり、民族の独自性、優位性を強調することで、縦糸同士を絡ませてみたり。

ただし、縦糸同士を絡ませる方法は丈夫ではあるのだけれど、行き過ぎると、ある意味選民思想的になることもある。

だから、成熟していない国や、政治・経済がうまくいっていない国ほど縦糸に頼ることが多い。

特に歴史のない国が縦糸に頼ろうとしても、建国神話は「神話」なんかではなくて、ただの昔話。「神話」と比べたら求心力には今ひとつ欠ける。どこかから独立しただの、新天地を開拓しただの、といった歴史的事実の羅列は、神話と比べれば安っぽいもの。

ともすれば宗主国だった国を無理やりにでも悪者に仕立て上げて、ナショナリズムを煽ってでも求心力を高めることさえある。極悪非道の悪魔の国から、我々は独立を勝ち取ったのだ、とかなんとか言って。

要は、国民に国への帰属意識を持たせて、国の形状を維持する方法として、縦糸を使うか横糸を使うかの違い。

縦糸を使って、愛国心を持たせることで帰属意識を持たせたり、横糸の政策によって、国家や政府への信頼を勝ち取ったり、国の維持って結構大変。

縦糸も横糸もしっかりしてきめ細やかな繊維は強くて丈夫。だけど世界の国の全部が全部そんな繊維構造で成り立っている訳じゃない。縦糸でも横糸でも国への帰属意識をしっかり持たせることはどの国も望むもの。でもそれは理想形。



4.日本の縁起レイヤー構造

縦糸が途中で切断されずにずっと続いているような国は、世界でみても数少ない。単なる時の政権の交代というレベルではなく、その民族や伝統が断絶しないということが条件になるから。

ヨーロッパ・アラブや中国大陸などでは、王朝の交代に伴って、民族の虐殺や伝統の破壊を行ってきた歴史があるから、縦糸はズタズタ。

日本は時の政権の更に上に「帝」をおいて、権威と権力を早くから分離した二重構造を持っていた。そのおかげでいくら政権が交代しても、日本は日本としてあることができた。天皇家という縦糸はそれこそ神話時代から続いていることになっている。

また横糸で考えてみても、日本は社会の相互信頼性の高い国だから、縁起の糸を介して伝えられるデータにエラー要素が少ない。だからデータを出す方も受け取る方も、エラー訂正だとかしなくていい。データ転送効率が非常に高い。いってみれば、省エネ仕様な繊維で国が出来ている。だからどこか一方から伝達された情報は速やかに、かつ減衰することなく隅々にまで伝わる。

これは、国政方針や施策が、一旦決まって伝達されるや否や、正確かつ速やかに展開されることを意味してる。

今の世界で、上位レイヤーから下位レイヤーまでぴたりと縁起の一枚布を重ねて出来ている国は少ない。

日本は下位レイヤーレベルでの密度の濃い縁起の繊維構造がそのまま上位レイヤーにも当てはまるという世界でも稀有の存在といっていい。縁起のレイヤーの世界でも、縦糸も横糸もしっかりしたきめの細かい織物でできた国。国としては理想系と言っていいほど丈夫なつくり。



5.中国の縁起レイヤー構造

日本はしっかりした伝達損失の少ない縁起の織物で出来た国なのだけど、これが中国だとまったく反対になる。

中国という国は相互信頼度が低く、騙す騙されるの社会だから、互いの通信データがエラーだらけ。各々はエラー訂正したり、ID確認したり、時には通信遮断したりさえする。もちろんデータ転送効率はとても悪い。政府がどんなに大出力でデータを伝送したとしても、途中でどんどん減衰して、人民に届くころには消えてなくなる。特に経済レイヤーでは顕著。

中国で唯一機能している縁起のレイヤーは、最下位レイヤーである血縁レイヤー。これは血のつながっている縁(宗族)はもちろんのこと、血より濃い「義兄弟」の契りを結んだ縁のレイヤーという意味合いも含まれる。「宗族・幇(パン)」のレイヤー。

このレイヤーだけが中国で有効なレイヤー。このレイヤーで裏切りは許されない。一度でも裏切ったら最後、宗族・幇のネットワークから叩き出されて、生きて行けなくなる。

中国には、基本的にこの最下位レイヤーしかない。その上層に人民は存在していない。上層には、政府の息のかかったとか、地元の有力者とかのごくごく少数の特権階級がいるだけで、彼らを政府が最上位のレイヤーから繋いでいるだけ。いわば網のようなもの。織物といえるほどの密度はない。

だから中国社会は、最下位レイヤーに強固な「宗族・幇」のレイヤーがあって、その上は織物ではなくて、網が3層にかかっているだけ。国といえるかどうかは疑わしい。

勝海舟は、氷川清話でこう語っている。

「シナ人は一体気分が大きい。日本では戦争に勝ったといって、大騒ぎをやったけれども、シナ人は、天子が代わろうが、戦争に負けようが、ほとんど馬耳東風で、はぁ天子が代わったのか、はぁ日本が勝ったのか、などいって平気でいる。それもそのはずさ。一つの帝室が滅んで、他の皇室の代わろうが、国が滅んで他国の領分になろうが、一体の社会は依然として旧態を存しているのだからのう。社会というものは、国家の興亡には少しも関係しないよ。」

「全体、シナを日本と同じように見るのが大違いだ。 日本は立派な国家だけれども、シナは国家ではない。あれはただの人民の社会だ。政治などはどうなってもかまわない。自分の利益さえ得れば、それでシナ人は満足するのだ。 」

中国人にとって、「宗族・幇」以外のレイヤーは社会じゃない。自分には全くの関係ない夢の世界と同じ。だからやりたい放題の無法地帯。自分に関係のない世界の出来事だから、なにが起ころうが意にも介さない。

今の中国は、目覚ましい経済発展を遂げているから、経済レイヤーも活性化していると見ることもできるかもしれないけれど、実際のところ、経済レイヤーの糸は繋がっては切れる、有って無いような状態だと思う。

改革開放路線で経済レイヤーそのものに、人民が進入できるようになったものの、まだまだ自分と経済レイヤーは関係ない世界だと思ってる。

自分だけ儲かればいいという意識でいるものだから、経済レイヤーを自分の住む社会というよりは、金という名の小魚の大群がうようよいる漁場に出ている感覚。狙うは一攫大漁。獲ったもの勝ち。手段なんか気にしない。

結局、相互信頼のある、データ損失の少ない層だけが人と人を繋げ、人を動かす縁起のレイヤーとして機能するのであって、それがない層はただのみせかけ。そんな層にいくらデータを送り込んだところで相手がちっとも受信しないのだから意味がない。



6.多民族国家の縁起レイヤー構造

ある意味中国もそうなのだけど、多民族国家、つまり母国語や伝統文化が異なる集団を持った国家を纏めていくのは難しい。下層レイヤーでは、それぞれ異なる色合いの縦糸で出来た布があって、それを寄せ集めて、互いにツギハギして下位レイヤーが出来ている。それら「こま切れ」の下位レイヤーの布に上位レイヤーの一枚布を覆いかぶせて何とか国家の呈を成している。

上位レイヤーの布を下位レイヤーの布とズレないように止めているのは、縦糸と横糸の交点に刺さっている「国民」という名のマチ針。

もしマチ針が上位レイヤーの布から抜けたら、国家を維持できなくなっていく。下層レイヤーごとにバラバラになってしまうから。

アメリカは国として歴史がなくて、民族も他民族からなる人工国家。だから元々縦糸には頼れない。せいぜい建国の精神くらいしかない。自由と平等、そしてフロンティア・スピリッツ。

だから建国の精神とその原則をとても大切にする。たとえ、それが制度疲労を起こしても止めるわけにはいかない。自由を求めてやってきた移民を拒絶すればアメリカでなくなる。

アメリカは横糸がうまくいっているうちはいいけれど、横糸が切れればあとは縦糸の強さだけが頼り。だけど歴史がないから、縦糸の拠り所は建国の精神だけ。結構危うい構造。

国家、特に人間道以上の段階にまで進んだ国家は、国民の国家への帰属意識を高めて、なんとか上位レイヤーにまで針を通して貰うことに気をつかう。

国内にチャイナタウンだとか、なんとかタウンだとか民族ごとに固まった地域共同体の集まりがあってレイヤーの布の色がそれぞれ違っていたり、地域や会社単位で多民族が在籍していて、縦糸一本一本が異なった色でレイヤーの繊維が出来ていたりするのが多民族国家。

そんな縁起レイヤー構造を持つ国は、レイヤー間の分離や食い違いが起きるのを避けるために、建国神話の縦糸で統一を図るか、国家法や国家運営という横糸で束ねるしかなくなってしまう。



7.中世化する世界

国が人間道・天道の段階までくると、民衆レベルで上位レイヤーが十分活性化している。だから国が各レイヤーを活性化させるために口出しする必要がだんだん無くなってくる。横糸的には生命と財産の安全保障ができて、縦糸的には国民文化の維持・拡張政策ができれば十分。黒子に徹することになる。

そのため、国民の国への帰属意識はだんだん希薄になってくる。国が黒子だから、その姿は意識されない。

国民ひとりひとりは下位レイヤー、上位レイヤーそれぞれで役目があって、それぞれで他人と繋がって活動している。ひとりがいろんな存在に帰属してるから、国はそれら沢山の帰属対象のひとつにまで埋没してる。

田中明彦・東京大学教授はその著書「新しい中世」で今の世界情勢を

 (1)非国家主体の重要度が増加
 (2)自由主義的民主制というイデオロギーの勝利
 (3)世界的な市場経済化が進む

という特徴をあげ、特に1,2が西洋中世の世界に近いことから「新しい中世」と名づけ、世界は、多様な主体が複雑な関係を取り結ぶような世界システムへと変化しつつあると指摘している。

また、世界を、「新しい中世」の傾向が顕著にみられる第一圏域(新中世圏)、「近代」的国際関係が優越している第二圏域(近代圏)、グローバリゼーションに参加する基盤さえ崩壊しつつある第三圏域(混沌圏)という3つの圏域から世界が成り立っているという見方も提示している。

これらを六道輪廻の段階に引き当てて考えてみると、

 第一圏域(新中世圏)=天道・人間道
 第二圏域(近代圏) =修羅・畜生道
 第三圏域(混沌圏) =餓鬼・地獄道

に対応するのだと思う。

多様な主体が複雑な関係を取り結ぶ世界というのは、縁起のレイヤーからみれば、個人がそれぞれの縁起レイヤーで、それぞれ別個の縁起ネットワークを結ぶ姿と同じと言っていい。

つまり「新しい中世」とは各レイヤーの横糸が密接に絡んで、個人の縁のネットワークが膨大になった姿ともいえる。各レイヤーが十分に活性化している天道・人間道の国、いわゆる第一圏域(新中世圏)に至って漸く目にする姿。

田中明彦教授によれば、第一圏域では、社会契約の純化が行われ、ナショナリズムは不要になっていくという。縁起の横糸でデータ損失や減衰のない純粋な通信が行われるから、縦糸を強調するようなナショナリズムはいらなくなるということ。



8.各レイヤーの接続問題

縁起のレイヤーでは、個人個人の繋がりは一本一本の糸を編んでいくことになるのだけれど、国同士でレイヤーを接続することになると少し事情が異なる。

接続方式は、糸同士の接続ではなくて布単位での繋ぎになる。もちろん具体的な接続面ひとつひとつは糸なのだけど、総体として国家という縁起の繊維を見た場合、その糸の種類も違えば、太さも異なる。もちろん比喩的な表現での話。

例として、2国間で縁起レイヤーを接続してみることを考えてみる。

通常国家間での縁起の接続となると、接続対象のレイヤーは、通常上位レイヤーで行われるもの。経済協力であったり、開発支援、文化交流とかいろいろあるけれど、少なくとも窓口は国。

だから、まず相手国の上位レイヤーが十分に機能しているかどうかがポイントになる。

天道・人間道の国同士だと上位・下位レイヤーとも十分に活性化しているから上位レイヤー同時の相互接続は特に問題ない。

だけど、一方が天道・人間道の国で、他方が修羅・畜生道の国だと少し事情が異なってくる。

修羅・畜生道の国での上位レイヤーは、その国の少数の特権階級が握ってる。だからその国の上位レイヤーは、その特権階級に都合の良いような状態であることが多い。必ずしも、天道・人間道の国で通用しているグローバルルールが通用するとは限らない。

当然、どちらかが譲るか、お互いに調整しないといけないのだけれど、グローバルルールを握って、市場をがっちり押さえている方が強いのは世の常。

そんなグローバルルールを適用しているのは大抵は先進国、天道・人間道の国。だから結局は、天道・人間道の国から、修羅・畜生道の国へなんとかしろという圧力となって現れることが多くなる。

電化製品で通信規格がそれぞれ違うもの同士があったとしても、結局大多数を握ったグローバル標準規格に押されて、それに合わせるようになってしまうのと同じ。大市場と接続しないと儲けることができなくなるから。

さらに、天道・人間道の国と餓鬼・地獄道の国の接続となるともっと大変。まず、餓鬼・地獄道の国の上位レイヤーはほとんど機能していない。国が国としての機能を果たしていないのだから、接続先すらない。

だから、この場合は上位レイヤー同士での接続は殆どできなくて、下位レイヤー同士での接続に頼ることになる。個別の人脈による人的交流やODAを中心とした地域共同体レベルでの草の根活動がその主体となる。少なくとも、相手国が修羅・畜生道の段階にまでこないと国レベルでの本格的な相互接続は難しい。



9.縁起レイヤー内通信の問題

各縁起レイヤー内の通信は何を媒体にして行われるかというと、テレビ、新聞、書籍、ラジオやネット、あとは口コミとか色々あるけれど、それらに共通しているものは「言語」。言葉を介してデータをやりとりしている。言語が伝達媒体の中枢なのは変わりない。

縁起のレイヤーで通信される、主に言葉で伝えられるものは、単にその意味だけじゃない。人と人を繋ぐ縁だから、心に伝わるものは全て伝達されると考えるべき。

心の働きとして知・情・意の3つがあるといわれている。『知』とは知能・認知機能のこと、『情』とは感情・情動のこと、『意』とは意志のこと。これらがそれぞれ言葉を媒介として人と人の間で伝達される。

だけど、この3つの働きの種類はレイヤー毎にその優先度合いが違う。

血縁レイヤーでは、親子の肉親関係や親類縁者の繋がりだから、『情』が一番になる。そのあとに『意』が来て、最後に『知』。建前だけで会話する親子なんてまずいないだろうし、肉親の情が一番なのは世界共通。

知人レイヤーでは、意・情・知の順。これはおおまかな序列であって、友人同士つるんで何かするというのを主体としてみた順番。友人関係の内容によっては、情が一番かもしれないし、知が一番になるかもしれないけれど、おそらくこの順番が多数を占めると思う。

ところが上位レイヤーだと順番はがらりと変わる。

経済レイヤーでは、意・知・情の順。何々を売りたい。買いたいという『意思』が先にきて、商品の中身を吟味する『知』が次にくる。『情』は一番最後。商売で情を絡めたら、損するのが普通。

思想レイヤーでは、知・意・情の順。思想や国家体制を扱うレイヤーだから、イデオロギーを含めた、客観的『知』の働きが一番最初。次に国家や団体としての『意思』がきて、最後に『情』。情が絡むと道を誤ることが多いのはどの組織でも同じ。



10.言語と国は一致するか

同一言語を使う相手同士では、知・情・意の伝達に関してそれほど問題は起こさないケースが多いけれど、言語やその背景となる伝統や文化、思考が異なる相手同士を接続するケースになると、更に考慮しないといけないことがある。翻訳の問題がそれ。

言語が異なるもの同士で縁起のレイヤーを繋ぐ場合には、その間に翻訳を挟まないといけない。この翻訳時にしばしばおこるデータの損失や減衰が、縁起の糸を細くする。

翻訳の目的は意思疎通を行うため。知・情・意でいう『知』と『意』をいかに正確に翻訳できるかという点が一番大事。『情』の部分は言葉のちょっとしたニュアンスだとか、言葉の裏の意味だとかいろんな要素が絡んでくるから、なかなか正確に翻訳できない。ひどい場合だとまるまる欠落することさえある。

つまり、同一言語や同一文化圏内だと、知・情・意はそれぞれあまり損失なしで伝送が期待できるのだけど、間に翻訳が入ると途端に伝送効率が悪くなることを意味してる。

これを縁起のレイヤーで考えると、上位レイヤーでは、『知』と『意』がメインで伝送されるデータだから、たとえ『情』に損失があっても、致命的にはならない事が多い。だけど、下位レイヤー、特に深い人間関係を築こうとするときには大きな困難にぶつかる可能性がある。言語が異なる下位レイヤー同士の接続では、縁を強く結ぶことはなかなか難しい。

言語と同一言語で構成される下位レイヤーの地域共同体は大体一致する。一致しないと『情』と『意』の部分がきちんと伝達できなくて縁の繋がりが弱くなる。バラバラになってゆく。

知・情・意の心の働きを互いに十分意思疎通できる言語・文化地域があって、そこに住む人々の集まりを国と呼ぶのであれば、「言語と国は一致する」と言っていい。でもそんな集団は往々にして、地方部族や民族別の集まりになる。



11.『情』と『意』の翻訳と相互理解

建国神話があって、歴史が断絶せずに長く続いている国は、神話は単なる知識としての『知』だけではなくて、『情』や『意』の部分にまでしみこんでいく。

先祖はだれそれの家臣だったとか、近所に神話の神様を祭った祠があったりして、縁起の縦糸を肌で感じられるから。

多民族国家を纏めていくには、横糸でうまく結ばないといけないといったけれど、下位レイヤーにおいて横糸を強くしようとしたら、相互理解を進めないといけない。『情』と『意』の部分をどれだけうまく翻訳して意思疎通できるかという問題。

普通、多民族国家で、言語も複数ある国では、公用語をどれかに決めて、それを基準に横糸の伝達を図ろうとする。テレビ放送や教育なんかで公用語を広めて意思疎通のプラットフォームを作る。そこで大切なのは、認知している対象にズレがないかということ。

コンテクストという概念がある。

コンテクストとは、コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのもののこと。

例えば、ここに少し脚の高い「ちゃぶ台」があるとする。机のようにみえるし、箱か踏み台にもみえる「ちゃぶ台」だとする。

それを見てる2者がいるとして、一方が「ちゃぶ台の上の急須と湯呑み」と言ったとしても、もう一方がそれをちゃぶ台ではなくて机だとみていたとしたら、この2者間でのコミュニケーションはうまくいかなくなる。

このように相対的に定義が異なる言葉の場合、コミュニケーション者の間でその関係、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

このように同じ言葉を使ったとしても、そこで意味する内容が、話す側と受け取る側で互いに違うものをイメージしていることがある。そうした場合、自分は自分で話が通じていると思っていても実際はそうではないことが多々起こりうる。

そうしたとき、コンテクストのズレを最小に押さえ、かつ『情』や『意』の部分をなるべく損失なしで伝える方法として有効なのは、視覚情報を使うこと。映像を使うやり方が最も効果がある。

テレビや動画などを中心とした視覚情報は発信側の映像イメージをストレートに相手に伝える。画像の見せ方やストーリーの組み立て方によっては、情感さえもたっぷり伝えることができる。

視覚情報をも使った情報の伝達損失は、言葉だけのやりとりとは比較にならないくらい損失が少ないけれど、それでもコンテクストのズレを完全にゼロにすることはできない。発信側のイメージを損失なしで伝えられたとしても、受け取る方がそのまま受け取ってくれるとは限らないから。

情報は、受信側のコンテクストによって、主観的な強弱をつけて受け取られる。

結局のところ、コンテクストのズレを修正または補正するためには、互いに相手の背景や状況に対する理解がないといけない。相手の縦糸や横糸を読み取っていく試みが要求される。

相互理解を行うことで一番いいのは、自分の価値観が相対化されること。他の文化や思考形態を知ることで、自らの文明文化の価値観を客観化してゆける。

互いの違いとその関係がわかるということは、自己を調律して他者との調和を図るための下支えを作ることができるということを意味してる。



12.思考のオーケストラ

思考は言語と言葉で構成されるから、言語の種類が沢山あるということは、それだけ思考の類型が沢山あるということを意味してる。

ひとつの物事や結論に対しても、それに到達するための様々なアプローチ方法があるし、解釈ひとつとっても実に色んな考え方が存在する。

同じ音階を鳴らすのに、弦楽器でも、管楽器でも、打楽器ででも表現できるけれど、「ド」なら「ド」で、同じ音階であっても使う楽器によってその音色は異なる。

思考も同じで、同じ概念や結論を示す思考であっても、そのアプローチ方法や表現は異なる。

だから、言語に代表される「思考の類型」は楽器に喩えることができる。

同じ弦楽器でも、チェロもあればバイオリンもあるように、同じ言語であっても、方言や派生語があったりして、類型言語が沢山ある。

今の世界には千数百とか数千にも及ぶ言語の数があるといわれているから、地球には、それこそオーケストラのように様々な「思考の楽器」が揃ってる。

仮に、人々の思考を、音として聞くことができる人がいるとして、その人が地球の音に耳をすませたとしたら、実にバリエーション豊かな、様々な楽器の音色が聞こえてくるはず。

もしも、地球上にたった一つの言語しかなかったとしたら、意思疎通そのものは簡単になるかもしれないけれど、思考の楽器もひとつだけ。オーケストラにはなり得ない。

相互理解と画一化は異なるもの。文化文明を画一化するということは、言語文化とそれに沿った思考という楽器を捨てて、単一の楽器だけにしようするのと変わらない。

いくら「新しい中世」の世界ではナショナリズムはいらないからといって、ナショナリズムを否定するのみならず、固有言語や固有文化をも否定したら、個々の楽器を葬り去ることになる。

自分の楽器だけを独奏をさせろといって、そうさせ続けるという意味でのナショナリズムは抑えるべきかもしれないけれど、楽器そのものまでも廃棄するのは行き過ぎ。オーケストラとして様々な音色を奏でることができなくなる損失のほうが遥かに大きいと思うから。



13.世界調和の交響曲

世界にはいろんな思考の型をもった文明圏が存在していて、それぞれの音色には特徴がある。

世界の文明を進歩型と調和型に分けると、西洋は進歩型だし、東洋は調和型になるだろう。当然その思考の楽器も進歩型と調和型に大きく分かれている。

曲調によって、楽器の向き不向きは当然あるだろうから、今は進歩の時代だと思えば、進歩型の楽器をメインの曲にすればいいし、ちょっと進歩が行きすぎて、調和が崩れてきていると思えば、調和型の曲を演奏すればいい。

たとえば地球環境問題に対して、これではいけない、もっと調和しないといけないと思ったら、調和型の楽器の独奏パートを入れてみるとか。

今は世界各国が好き勝手に自分の楽器の音色を出しているだけだけど、世界一丸となって京都議定書を守ろう、と決めたならば、京都議定書の交響曲を思考のオーケストラが演奏し始める。そして曲が進むにしたがって、それが現実化していく。そうしようとして、そのように活動をするのだから当然のこと。

その意味では、言語が沢山ある地球は、いろんな思考の楽器でシンフォニーを奏でることができる可能性に満ちた星なのかもしれない。

世界平和を願っての記念コンサートなんかは、世界中でよく行われているけれど、思考のオーケストラは、まだ何のコンサートも行ってはいない。

思考はいつでもどこでも行われていて、常になんらかの音色を出しているのに、一緒に交響曲を演奏しようとは思われていない。

だから、まず思考のオーケストラが目指すべきなのは、世界調和の交響曲を演奏しようと思うこと。進歩を目指すのであっても、調和を図るのであっても、オーケストラとしてきちんと交響曲を奏でれば、それは美しく、調和したもの。進歩の交響曲は勇気の詩(うた)、調和の交響曲は癒しの調べ。

自分の楽器の音色、相手の楽器の音色を相互理解によって知ること。そして今何を演奏すべきか考えること。交響曲がきまったら、協力して演奏しようと努めること。現象としての世界平和は、きっとその後に現れてくる。

だけど問題なのは、協力しようという段階にある国が少なすぎること。地獄・餓鬼・畜生・修羅の国ばかりだと、自分が生きてゆくということや、いい暮らしをしたいというのが全て。他国に目を向ける余裕はなかなか持てない。やはり国として天道・人間道あたりまでこないと、思考のオーケストラの一員として参加しにくい現実もある。

だから、本気で世界調和したいと思ったならば、世界調和の調べを演奏しようと働きかけるとともに、世界の地獄領域を減らしていく努力もしていかなくちゃいけない。日本の力を発揮できる部分はここにあるのだと思う。


(了)

banner_01[1]









COMMENT

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
    (copyボタンはIEのみ有効です)
«  | HOME |  »